人生が変わったきっかけ

今週のお題「人生変わった瞬間」

 

 人生が変わるといっても、そんなにドラマチックに
変わる瞬間がそうそうあるものではないと思う。
 振り返ってみて、人生が変わったのは結婚した後と
仕事で存在感を感じた後ではないかと思う。


 結婚するまでは、1人気ままにやっていればよかっ
たのだが、世帯を持って生計を維持するだけでなく、
互いに意思疎通を図りながら将来設計する、つまり2
人分の人生を運営していくのだから、変わってあたり
前というところだろう。
 ただ、結婚に至るまでには出会いがあるので、そこ
まで遡れば、瞬間があると言えないこともない。

 私の場合は、社内誌に書いた文章がきっかけで、妻
を紹介されたのが始まりだった。
 文章を書くのは嫌いではないのだが、たまたま頼ま
れて書いたものを読んだ人が気に入ってくれたのだと
思う。
 自分では意識していなかったが、ある意味で人生が
変わった瞬間なのだろう。


 学校を出て就職した会社で配属されたのは、システ
ム部門だった。
 新人なので、知らないことばかりなのは当たり前、
言われたことを教えてもらいながら、何とかこなして
いる状況に、高卒の先輩からは「大卒新人は給料を貰
いすぎ」ということまで言われた。
  
 私の場合、工学部ではないが、大学時代にソフトの
勉強をしていたのが役立った。
 当時のコンピュータは、メモリの制約があり、メモ
リ不足でシステムが動かないということがあった。
 通常は、事前にテストするのだが、システムのトラ
ブル修正で、修正コードを入れたために、メモリが超
えてしまったことがあった。
 メモリを抑えるための緊急修正をどうするか、私は
ソフトの変換後のコードリスト(アセンブルリスト)
を出して、削れる部分を見つけることを提案して、速
やかに対応できた。
 これで少し存在感を示すことができた。

 今でもそうだが、ソフトウェアは定期的にバージョ
ンアップがある。
 通常は、メーカーが十分にテストしてリリースする
ものなのだが、たまたまメーカーが提供する変換ソフ
トに不具合があり、そのままでは動かない。
 人海戦術で、多くのソフトを手作業で修正しないと
間に合わないような状況が発生した。

 ここでも、コンパイラという翻訳ソフトの勉強をし
ていたことが生きた。
 簡単な変換プログラムを作って実験した結果、見た
目はよくないが、動作することが確認できたので、そ
れを使って修正することができた。
 オリジナルの修正ツールを作って対応することは、
それまであり得ず、ベンダーに丸投げしていたので、
ある意味画期的で、これでシステム部門でもやってい
けるという実感をもった。


 これ以降、新しくソフトを作ったり、新しい仕組み
を導入したりにチャレンジしていくという人生が続い
ていくことになったと思う。
 自分の前に道はなく、自分の後に道ができるという
ことが当然のように思えるようになった瞬間だった。
 

 

サッカーとの出会い

今週のお題「わたし○○部でした」

 

 今の私の姿からは、昔サッカーをやっていたというと
信じてもらえないだろう。
 サッカーをやっていた当時でも、信じてもらえなかっ
たことがあった。
 それもその筈、サッカーをやっていたといっても、有
名な学校でやっていた訳でもなく、優勝経験があるとい
ったこともないからだ。
 でも、サッカーをやったことで、その後の人生が豊か
になったとは言える。


 私がサッカーを始めたのは、中学でサッカー部に入っ
たためである。
 当時は、サッカー人気がまだ始まる前で、サッカー部
も人数が足りず、野球部から人を借りるような状況だっ
た。
 サッカーを始めてはみたものの、満足にボールも蹴れ
ず、パスもできない中、土のグランドで黒く汚れた姿で
女子生徒からも敬遠されていた。
 それでもやっていたのは、一緒にやる仲間がいたから
で、試合に勝っても負けても、一生懸命やるというのが
良かった。


 高校や大学では、才能の限界を感じて、サッカー部に
は入らず、たまの授業などで昔やった経験を生かすこと
で満足していた。
 それが大きく変ったのは、社会人になってからだ。
 私の入った会社にサッカー部はあったが、ご多分に漏
れず人手不足で、たまたま仕事の指導をしてくれた先輩
がサッカー部だったことから、素人でもいいと誘ってく
れたのがきっかけだった。


 久しぶりのサッカーで、体力がついてないため、業務
終了後、皇居の周りをランニングして体力をつけ、練習
をすることで、少しずつ試合にも出してもらえるように
なった。
 会社のサッカー部は、今でもそうだろうが、サッカー
が好きというだけでなく、高校の時に国体に出場してい
るような人もいて、まさに玉石混交、そういううまい人
に引っ張られて、業界のリーグの3部で優勝し、2部に
残留をする程度になっていた。


 結局、社会人になってからまる4年サッカーをやって、
色々な会社のグランドまで出かけ、対戦することができ、
そこそこ活躍することもできた。
 最後は、サッカーの試合で骨折し、それを機に引退す
るようになってしまったのだが、丁度結婚する前で、私
の青春の一時期を充実して過ごすことができたと思う。


 その後、Jリーグが発足して、サッカーは人気のスポー
ツになり、こちらはもっぱら見る側で、ワールドカップ
の出場が決まった時は、大いに感激した。
 今年も、来週にはワールドカップが始まるのだが、今
では年齢のせいか、昔ほど熱くなることはないものの、
優れた選手のプレーには、すごいと感ずる。
 それも、自分でやってみて、難しさがわかっているの
と反則を超えた格闘技的な要素がサッカーにはあると思
っているからだ。


 今回のワールドカップには、どんなドラマが待ってい
るのだろうか。期待したい。

やる気は、心の持ちよう

今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」

 

 やる気が出ないときにどうするかという前に、
そもそもやる気があるかないかで、対応が違って
くると思う。
 やる気がある人は、どうしたら実現できるかを
考えるのに対し、やる気がない人はできない言い
訳を考えるという傾向がある。

 やる気が出る出ないというのは、やる気がない
訳ではないが、さりとてやる気が十分あるとまで
いかないような状態なのだろう。


 やる気が出る出ないというのは、その仕事なり
勉強なりが好きか嫌いかとスキルが十分か十分で
ないかに左右されるように思える。
 その仕事が嫌いではないが、タスクをこなすだ
けの十分な時間や資源がないとか、自分が能力的
に不足しているといった時に、一方的に命ぜられ
てするとなると、やる気がでない。


 これを打開するのは、人のタイプによって違い
がある。
 開放的な性格であれば、周囲に相談するなり、
積極的に協力を依頼して、周囲を巻き込んで何と
かしようとするだろう。
 一方で、思索型の人は、どのようなアプローチ
をするのがベストなのかを考えた上で、調査検討
と資源の確保に取り組むのではないか。
 いずれにしても、やらないという選択肢がない
場合は、自分一人で悩んでいても前に進まないの
で、試行錯誤をすることになる。


 極端な場合は、意欲が喪失して時間切れになり、
責任放棄ということもあるのだが、ひどくなると
うつ状態になることもある。
 ここまでいくと、周りも放っておけなくなるの
で、何とかしようとするのだが、担当を交代する
しかなくなることが多い。


 私の場合は、自分の能力に限界を感じているの
で、誰かを頼るということが多いのだが、そこに
至るまでの不安と焦燥感を紛らわすには、一杯の
コーヒーと気に入った音楽でリラックスすること
が多かった。
 また、仕事の帰りに仲間内で一杯ひっかけると
いったことも、相談の機会を作る上では有効だと
思う。


 最後は人生観にもつながると思うのだが、仕事
が全てではないし、全てのことに意欲的に取り組
んだとしても、それが幸せということではない。
 自分自身が納得してできるかどうかが、やる気
につながるのだと思う。

 

東京は、自慢するような地元ではないけれど、いいところもある。

今週のお題「地元自慢」

 

 昔から、「出身はどこですか」と聞かれて、「東京です」
と答えると、「江戸っ子ですね」というリアクションが返っ
てくるのだが、私自身には違和感がある。
 東京に三代住まないと、「江戸っ子」とは言わないという
ことも言われて、確かに祖父の代から東京に住んではいるの
だが、皆転勤族のため、仕事が落ち着いてから住んだいて、
住所も違うし、学校も住まいの近くになく、小学校からの友
人もいない。
 という訳で、地元意識がない浮遊人みたいなところがある
ので、地元自慢と言われると困ってしまう。


 とりあえず東京を地元として、自慢できるようなところは
何かと思っても、今は情報が溢れていて、東京に住んでいる
人も多いため、自慢でもなんでもないのではと言われそうな
気がする。
 また、自慢というとスノッブな感じがあるので、それより
は外部から見てここはいいなと思う点をあげてみたい。


 転勤で地方に行くと、それぞれいいところがあるのだが、
都市の規模によっても違うし、近くに大都市があるかどうか
でも違うと思う。
 東京がいいのは、美術館、博物館、劇場、ホール等が数多
くあるので、出かける機会に恵まれているということだろう。
 劇場のチケットは確保が大変な場合もあるが、それでも足
代や宿代と時間をかけてということを考えれば、はるかに恵
まれていると思う。
 リモートやテレビ等では味わえない臨場感は、コロナ禍で
皆が一番求めていたものだろう。
 地方公演のようなものがある場合はいいが、限られていた
というのが実感としてある。


 それ以外では、街がいくつもあるという点だろう。銀座、
渋谷、新宿、池袋、日本橋、浅草、上野、などそれぞれの街
に個性があって、多様なニーズを満たしてくれる。
 一方で、東京だけでなく、近県や遠方から多くの人が集ま
るために、混雑や混乱があったりするというデメリットもあ
るのは仕方ない。
 私自身は人込みが好きでないので、できるだけ土日を避け、
混雑しないであろう時間帯に出かけることにしてはいるが、
それでも関心が高いものは、混雑してしまう。 
 何でこんなに人が多いと思うのはお互い様なので、同じ機
会を分かち合えたということで満足することも多い。


 東京に住んでいる人は、1400万人にもなるので、世代
や出身、住んでいる街で感じ方に大きな違いがあるとは思う
のだが、地元意識が強いのは、三社祭りのような古くからの
祭礼がある所に住む人ではないかと思っている。
 伝統行事は、どこにいってもある地元の自慢のようなもの
なのだが、東京でも高齢化が進んで、担い手が不足しつつあ
るのは間違いない。
 一方で、新しい文化的な催しも行われてきており、多様化
が進んでいるのを目にするのは楽しみでもある。
 

 人種も含めて多様な人々が織りなす進歩性もまた、東京の
一つの魅力と言っていいのではないだろうか。 

ソダナー、ドウシタモンジャロナー

今週のお題「わたしは○○ナー」

 

 かつてオリンピックのカーリングチームが、「そだねー
と声をかけあっていたが、これは相槌を打ってコミュニケー
ションを取っていたのだろう。
 ソダナーは、「そうだな」という相槌というのではなく、
どうしようかなという意味である。

 「そだねー」という前提は、誰かがプランを出して、それ
に賛成するのだが、ソダナーとなると、自分でプランを考え
る立場なのだ。
 リーダーがいて、それに従っていくというのは、ある意味
楽なのだが、自分がリーダーになると、考えを巡らせていく
必要がある。
 それがうまくいけばいいのだが、時には失敗することもあ
るので、思案をするのがソダナーなのだ。


 今は組織を離れているので、そういった場面はないのだが、
一方で自分自身の生活では、それなりに思案が必要な場面も
多くある。
 収入に合わせて生活を見直そうとすると、何かを切るなり
変えるなりするしかないのだが、スパッと決断できることは
少ないので、ソダナーとなる。


 僅かな資金を運用しようと思うと、対象の商品もあれば、
やり方や金額など考えることが多い。
 そして、やってみたはいいが、うまくいかない時は、次は
どうしようかとか考えるし、うまくいった時でも、どこで見
切るかといったことで思案することになる。
 リスクを大きく取った時は、ソダナーというより、ドウシ
タモンジャロナーということの方が多い。
 最初から、それほど大きなリスクは取っていないので、傍
から見れば、何でそんなことに悩むのかと思われるかもしれ
ないが、気の小さい性格なので、そうなってしまう。


 お金の問題だけでなく、親の世話のようなことは、どこま
でするかとかもあるので、妻からどうするのか問われると、
ソダナーといった感じになる。
 そうは言っても、できることには限界があるので、介護の
ために老人ホームを確保するには、ドウシタモンジャロナー
といった感じで、なかなか結論がでない。


 歌の歌詞ではないけれど、人生は迷い道くねくねで、その
都度、ソダナーとドウシタモンジャロナーといった判断を迫
られてくる。
 結局のところ、失敗を重ねても、何とかこれまでこれたの
だが、墓の手当てはできていないので、死ぬまでソダナーと
ドウシタモンジャロナーを繰り返すのだろうか。

バッグの中には何が

今週のお題「カバンの中身」

 

 このところ遠ざかっていた「今週のお題」、久しぶりに
書いてみた。

 散歩がてらに出歩く時は、ジャケットだけだし、ジムに
行くような時はリュックなので、カバンを持たないことも
あるのだが、大抵の時はバッグを持って出ることが多い。
 サラリーマンとして仕事に行っていた時は、A4の書類が
入りパソコンが入るといったことを条件にしていたが、今
は、コンパクトなB5サイズのショルダーバッグにしている。


 理想を言えば、荷物になるので、軽くて薄い、せいぜい
スマホティッシュと筆記具が入る程度のものがいいのだ
が、実際はB5サイズでもポケットが多く、マチもある旅行
用のサブバッグに近いものを持ち歩いている。
 なぜかというと、その時々に応じて、必要なものを持ち
歩きたいというニーズがあるからなのだが、実際には使わ
ないものを大量に持ち歩いていることがあるのは、女性の
ハンドバッグの中身と同じようなものだろうか。


 私の場合、バッグの外側に入れているのは、キーケース、
眼鏡拭き、タッチペン、目薬といったもの。
 その内側には、ボールペンの黒と赤、メモ用紙、ポケッ
ティッシュなど、いずれも比較的直ぐに取り出せるもの。
 メインの内ポケットには、印鑑、金券類、携帯式の消毒
用アルコール、マスクの予備、お守り、場合によって財布、
手帳、折り畳み傘など。
 さらに、スマホ、会員カード等を入れる名刺入れ、エコ
バッグ、夏は扇子といったところだろうか。

 書類を入れるには適さないサイズなので、書類がある時
は、別途エコバッグや封筒に入れて持ち歩くことになる。


 ほとんど使うことはないのだが、持ち歩いているのが、
登山などで使うカラビナ。荷物が複数になった時に、まと
めるのに便利なのだが、それほどの大荷物は滅多にない。
 必要ないとは思うのだが、なんとなく放り込んであると
いったところだろうか。
 また、消毒用のアルコールも、百貨店など多くの場所で
入り口に置いてあることが多いので、いらないような感じ
なのだが、たまに置いてなかったり、手が汚れて洗う場所
がない時に使ったりするので、放り込んである。


 印鑑も入れてはあるが、最近はサインやタッチで終わる
ことが多いので、滅多に使うことがない。むしろ、スマホ
を忘れたりした方が影響が大きい。
 効用が不明なのはお守りで、毎年初詣に行った時に、求
めているのだが、これは妻に持たされていると言った方が
正しい。
 

 私の場合、仕事の関係で書類を入れる必要がある時は、
A4サイズの入るバッグを持ち出すのだが、そういった場合
は、全部を移し替えることはしないので、筆記用具に印鑑
など最低限のものをセレクトして入れることになる。
 それでも不自由はしないので、普段はいかに余計なもの
を持ち歩いているのかと思うのだが、だからといって見直
しをしないのは、ズボラな性格だからかもしれない。

 ただ、私の妻は性格的にはキチンとしている方なのだが、
バッグの中身は、あれこれ放り込んでいるので、バッグの
中には魔物が潜んでいるのかもしれないと思う。
 

朝の散歩

今週のお題「マイルーティン」

 

 朝食事前に散歩に行くのが、ルーティンになっている。
始めたのは2015年頃。最初は2キロ位先の駅の方に
行っていたのだが、あまり環境がよくないので、やや近
い地元の神社に行くことにした。


 基本的に、雨が降っていなければ、妻と2人で行き、
不動尊と神社に参拝して帰ってくる。往復で1時間位だ
ろうか。
 歩いていると季節の移ろいを感じられると共に、街の
変化も感じられる。
 今の季節だと、金木犀の花が咲いて、歩いていると遠
くから香ってくる。
 冬から春にかけては梅が香り、初夏にはクチナシが香
るといったように、視覚だけでなく嗅覚でも季節が感じ
られる。


 5月から6月にかけては、ツバメが巣をかけるのが見
られる。今年はいつくるだろうかとか、都会なのでもう
見れないかと思ったりするが、やってきて子育てをして
旅立っていくと心が和む。
 多い年は、何か所も巣作りをするのが見れるのだが、
今年は1か所だけだった。
 年々古い家が壊され、新しく立て直されるのだが、新
しい家には庭がなく、樹木も少なくなって環境が悪くな
っていると感じる。
 ツバメだけでなく、今年は鶯もほとんど見かけなかっ
た。


 歩いていると鳥だけでなく、別の動物に出くわすこと
もある。以前にハクビシンが出てきて驚いたことがある。
 ハクビシンは木登りがうまく、電柱から電線の上を伝
って移動するのだが、そこにカラスがいて、カラスが大
騒ぎをして追い払おうとしていた。
 まあ、熊とか猪とか出ることはないので、そういう意
味では安心だが、犬でもなく猫でもない大型の動物が、
朝の暗闇から出てくるとギョッとする。
 

 朝散歩をしていると、同じ時間帯に会う人が決まって
くる。
 犬を連れて散歩する人。夫婦で同じように散歩してい
る人、リュックをしょってサングラスで速足でいく人、
神社に毎朝参拝にくる人など。
 なかには、声をかけてくる人もいて、簡単な会話を交
わし、お互いの無事と健康を確認しているようなところ
もある。
 暫く見かけないと思ったら、病気だったとかいうこと
もあるし、こちらも1人で歩いていると、今日は奥さん
は?と訊かれることもある。


 散歩に連れていた犬を見かけなくなったり、高齢の夫
婦で歩いていた人を見かけなくなると、心配になったり
するのだが、出かける時間が少しずれただけでも、会う
人が違ってくるので、そういうことかなとも思ったりす
る。
 ただ、やがて季節だけでなく人生の移ろいも感じてい
くようになる。
 私はこれからも、人生と同じように、毎朝歩き続けて
いくつもりだ。