ネット時代の政治感覚 - 由らしむべし、知らしむべからず

1.インターネット利用の拡大

 新型コロナウイルスによりリモートワークを余儀なくされた
人も多いかと思われるが、それもネットワーク環境があって
のことであり、随分とネットワーク環境が世の中に普及した
ものだと思う。
 インターネットの利用拡大が進展したのは、Windows95
登場して、比較的に簡単にインターネットが利用できる環境
が整備されたことにあると思うが、そこから25年も経っている
のだから、それ位は当然なのかもしれない。

 Win95後に画期的だったのはiモードで、携帯電話でインター
ネットが利用できるようになったことだと思う。そのため、
スマートフォンが出る前の日本での情報利用は、世界的に
見ても進んでいたと思う。
 アップルが、スマートフォンという電話の機能が付いた
ハンディコンピュータを出したことで、日本式の携帯電話は
廃れてしまったが、このスマートフォンという名前が味噌で、
電話としての使い勝手は昔の携帯電話には劣るものの、あたか
も携帯電話を上回る電話としてコンピュータを売り込んだの
が素晴らしいと思う。

 内容よりもイメージが先行してしまい、今でもスマホという
ことで、電話会社が売ってはいるが、電話よりはそこに搭載
されるソフトが重要なことを今では皆感じているが、当初は
新しい電話というイメージだったと思う。
 ただ、この発展の陰には、半導体を含めたコンピュータの
技術的な進歩があり、そのおかげで多くの人が安価に、また
簡単に便利な機能が利用できるようになったのである。


2.ネット時代の情報行動

 さて、その便利な機能のおかげもあり、かつてのマスメディア
である、新聞や雑誌、テレビ、ラジオの影が薄くなり、今では
新聞は読まない、テレビもあまり見ないで、もっぱら情報は
ネットから断片的に得るという人も多くなっている。
 また、情報が氾濫しているだけでなく、自ら考えるのでなく、
専門家や政府の情報を受けて自分のものにし、受動的に行動
するなり、相手の意見を理解しようとしない人間も増えている
ように感じられる。
 そのため、情報を一方的に操作しやすくなっているとも
言える。情報の真偽や価値を確かめるためには、多くの情報
に接して、自分なりに吟味することが大切なのだが、そういった
情報リテラシーに欠ける人間が、今は増えてしまった。

 政治に対する感度は、情報リテラシーそのものなので、
一方的な情報にしか耳を傾けない人が増えたことが、社会の
分断を生む一つの原因になっており、また、政治家も一方的に
自分の都合のいい話ばかりして、相手の意見に耳を傾けない
という傾向が強くなってきていると感じている。


3.SNSの利用拡大と情報の偏り

 また、ツイッターフェースブックのように、誰もが自由に
自分の意見を述べることができる代わりに、匿名性を利用して
誹謗・中傷をするといったことが増えてきているし、事実に
基づかない発言をしても、それを咎めることはしないという
間違った言論の自由を容認してきたということもある。

 
 何が真実なのかということは、再現性がない場合、当事者
以外の者が理解するのは難しいので、政治的な背景がある場合、
一方的な見方でツイートする人間が出てくると、収拾がつか
ない場合も出てくる。特に、ツイートの発信者が影響力ある
人間であればあるほど、そうなる可能性がある。

 私自身は、ツイッターのように短文で、自分の考えを述べる
のには限界があり、細かなニュアンスも伝わらず、誤解を
生む原因になるので、SNSはほとんど利用しないが、一方で
これを情報入手のメインにしている人がいるということも
よくわかっている。
 これに対応するには、誤りを正すという地道な努力しかない
ようにも感じられる。


4.由らしむべし、知らしむべからず

 論語の「由らしむべし、知らしむべからず」という言葉は、
本来の意味から違って、為政者側が人民を都合よく支配する
ために、そのような行動をしてきたのだが、現代でもその
感覚は行政サイドに強く、情報公開には消極的で、説明も
いい加減で、何のためにとか、どういう理由で、誰が決定した
のかといった本質的なことを省略することが多いと感じている。
 そういった感覚に慣らされてきていることが、情報リテラシー
の欠如につながっていると思うので、今必要なのは、情報
リテラシー教育だと思う。

 コンピュータの学習を小学生から取り入れるようになって
きているが、システムで本当に重要なのは、システムを設計
するための基礎的な考え方なのだと思う。音頭を取っている
政府自身が不十分なため、政府のシステム開発は中途半端で、
評判が悪いし機能も不十分なことが多い。
 こちらの方はコンピュータリテラシーの欠如と言える。

 

 今や、論語の本来の意味である「人は従えさせることが
できても、すべての人に政治の道理をわからせることは
難しい」というような状況になってきているが、政治の道理
も無くなってきている状況が、ネット時代にますます増加
しつつあるのではないかと危惧している。

 政治の道理が無くなるカオスになる前に、情報リテラシー
コンピュータリテラシーを普及させる取り組みが必要だと
思うのだが、一体、いつ誰がそれをやるのだろうか。