老害というより、無自覚

 

 オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長が
自らの発言がもとで辞職するに至ったが、世間では
老害」などという人もいる。

 高齢者だから能力がないということでもないし、そも
そも「老害」についての明確な定義があるわけではない
ので、批判は当たらないかもしれない。
 ただ、発言後の記者会見を見てもわかるように、反省
しているというより、発言の撤回表明と形ばかりの謝罪
というようにしか見えなかった。


 これまでの功績や人となりを評価する人は、女性差別
をするような人ではないと言うが、そうであればもっと
程度が悪いということになる。
 つまり、言っていることとやっていることが違うので
そういう人がオリンピック精神を理解して行動しますと
言っても、やるかどうか分らないし、やらなくても責任
はないのを認めているようなものだからだ。


 日本の政治家は、国会での発言について責任を問われ
ないのをいいことに、謝罪して撤回すればいいとか、
言論の自由があるとか言って、自身の発言に責任を負わ
ないばかりか、議事録から削除して無かったことにして
しまうような慣行を続けている。
 言論の自由があることは否定しないが、言論の自由
時と場合とその人の立場で変わってくるものだと思う。
 
 米国の大統領のように、影響力のある人の場合、言論
の自由を主張するなら、言ったことがもたらす影響まで
配慮して発言すべきだと思う。
 そういう意味では、オリンピック・パラリンピック
組織委員会の会長であれば、自信の発言の持つ影響力を
自覚して発言しなければいけない筈で、原稿を用意して
内容をチェックする位の慎重さが必要だったと思う。


 正式な会合ではなく、家族とか親しい仲間うちでは、
本音を漏らすことがあってもいいが、役職の人間として
発言している時は、それなりに注意すべきだと思う。
 もっとも、本音と建て前を使い分けていると、いつか
正体が分かってしまうことになるので、人選をする際に
建て前だけで言っているような人間でないかを見極める
ことがより重要だろう。
 
 これから後任会長の人選をするようで、基準を明確に
してできるといいと思うが、現在のような状況では引き
受ける人が、どれだけいるのかという危惧もある。

 少なくとも、本人が自分の言ったことについて自覚が
ない人だけは選ばれないことを願うだけである。