きつかったシステム開発

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

 人生におけるピンチというと、なんとなく切羽詰まった
状況で四苦八苦したということなのだろうか。

 人生を勝ち負けで捉える人は、ピンチとかチャンスとか
いったことで見るのかもしれないが、自分は出世するとか
大金持ちになるとかいったことを夢見るタイプではないし、
ピンチといっても、なるようにしかならないという考えな
ので、人生最大のピンチと言われても、よくわからない。

 そういった感じなのだが、ピンチを意識しない代わりに、
失敗したことは数限りなくあるので、失敗を意識した時が
ピンチだったのかもしれない。


 失敗のなかで、人生最大となると、評価が難しい。
 なぜなら、失敗を重ねた現状の中で、何かを基準に置か
ないと評価できないからだ。
 例えば、大学受験がうまくいって、別の学校に入ってい
れば、別の人生があったかもしれないとか、別の仕事につ
いていればとか、仕事で失敗していなければ、もっと出世
したかもしれないとかいったことになるからだ。

 ピンチを迎えても、何とか乗り切れる場合もあるし、う
まくいかずに挫折感を味わう場合もある。
 それでも、何とか生きてきたと思うと、運や巡りあわせ
のようなものもある気がする。
 

 そうは言っても、そのままではお題にならないので、一
つだけあげておこう。
 今から20年位前になるが、海外支店のためのディーリ
ングシステムの開発を担当したことがあった。
 
 私自身は、本店のディーリングシステムを海外に持ち込
めばいいのではないかと思っていたのだが、本店のシステ
ムは私の担当ではなく、担当サイドが海外でのシステムセ
ットアップはやりたくないため、新たにこちらでシステム
開発をするということになってしまった。

 システム開発における要素は、人、モノ、金と時間だが、
当方には、開発をするだけの十分な人材がいなかった。
 本来、開発のリソースを手当てするのは、担当部門では
なく、協力会社を管理する部門の役目の筈なのだが、当該
部門に要望しても、十分な人を手当てしてもらえなかった。

 結局、どうなるかと言えば、手持ちのスタッフでやりく
りするしかないのだが、案の定、スケジュールもコストも
オーバーすることになった。
 最後は、私も連日、終電やタクシーで自宅へ帰る破目に
なった。


 スタッフが無能ということではなく、優秀な人もいるの
だが、いかんせんプロジェクトの規模からすると、少ない
上に、ベンダー選定やシステム構築に関する情報取得が不
十分だったつけが大きく、開発は難航した。

 最後は、管理部門等から私とチームリーダーが吊るし上
げられたものの、代わりにやる人間もいないので、仕切り
直しをしながら継続して開発することになった。

 この時は、本当に、こんな仕事のやり方をするのであれ
ば、会社を辞めたいと思ったし、何とか完了できるよう、
毎週、神頼みで近くのお不動さんにお参りまでしていた。


 とりあえず、システムは稼働したが、稼働後もトラブル
があると、担当者は夜中にセンターにかけつけ、私はその
報告を受けるということが続いた。
 システムの一部を請け負ったベンダーの役員が、年始の
挨拶に来た際に、私も呼ばれて同席したものの、トラブル
が続くため、私の態度が良くなかったのを感じたのだろう、
先方の社内で話し合いが行われたようだ。

 その後、私は担当を外れたのだが、伝え聞くところでは
先方がシステムを見直して、トラブルが出なくなったとい
うことだった。
 このシステムは、海外のパッケージを活用したものだっ
たのだが、先方も経験が十分でなく、国内での導入事例が
なかったという点は反省点なのだが、うまくいかなかった
最大の原因は、当社内の管理体制と技術レベルにあったと、
私は思っている。

 
 今はどうなのか知らないが、システム開発に関するトラ
ブルは相変わらず多いと思う。
 ベンダーにまる投げするのは論外としても、社内にある
程度スタッフを抱えている企業でも、合理的な意思決定が
できないケースは多い。

 システム開発だけではなく、合理的な意思決定は、丁寧
な説明というレベルではないということを、認識して欲し
いものだ。