永年付き合ってきたものとの別れ

今週のお題ビフォーアフター

 

 師走という言葉ではないが、ここ一月ほど忙しくて
ブログを書く余裕がなかった。
 ただ、時間的な余裕がなかったというよりは、精神
的なゆとりが無かったというところも大きい。
 ビフォーアフターというお題にも関係してくるが、
永年付き合ってきたものとの別れとその後をどう構築
していくのかということがある。

 
 別れの一つは、実家の庭が道路拡張で大幅に削られ
てしまったこと。
 道路拡張の話は、何十年も前からあり実現するはず
がないということで、実家もリフォームをしていたの
だが、オリンピックの開催が契機になったのかどうか
はしらないが、突然進展して用地買収が始まった。
 但し、始まってから既に四、五年は経つものの進捗
は6割位ではないかという感じで、実家もやっと今年
実施することになった。

 お役所仕事という言葉があるように、完成予定時期
はあるものの、遅れたからと言って誰が責任を取ると
いうのでもないし、担当者が異動して話が変わったり
するので、真面にはやってられないという気もした。

 そうは言っても、いつまでも引き延ばしていると、
相続も含めた話になって、ややこしくなるので、今年
やることにしたのだが、今まであった庭や樹木が無く
なってしまうと、かなり殺風景で住環境が悪くなった
と感じる。
 いずれ道路拡張で整備された道路ができると、さら
に違った環境になるのだろう。

 
 家の近くを歩いていると、道路拡張とは別に、昔か
らあった大きな区画の家が壊されるのをよく見かける
ようになった。
 あるものは二世代住宅になり、あるものは賃貸住宅
になり、あるものは細切れの分譲住宅になった。

 相続や個人の事情、道路拡張などで街の風景が変わ
っていくのは仕方ないのだが、前から住んでいた人間
と移り住んできた人間では、意識も人付き合いも違う
し、それの繰り返しで発展して来たのが東京という街
なのだとも感じる。


 今まではあまり意識していなかったが、時の流れの
中では、皆がビフォーアフターを経験していくことに
なり、ビフォーを知らない人間は、感傷に浸ることな
く新しい生活を作っていくのだろう。
 一方で過去を知る人間は、過去をひきずりながらも
気持ちを切り替えて生活していくのだろうか。

 もう一つの別れは、永年の友人が亡くなったことで
あるのだが、こちらの方は、気持ちを切り替えられず
にいて、雑事に紛れさせ思い出を薄めていこうとして
いる自分がある。