風呂屋の煙突

 昨年末、いつも見慣れていた銭湯の煙突に囲いがついた。クリスマスの
電飾をするはずはないので、補修でもするのかなと思っていたら、徐々に
囲いが低くなって、煙突は跡形もなくなってしまった。
 新型コロナの感染拡大もあり、銭湯も経営が厳しいので廃業したのかと
思っていたら、そうではなかった。

 最近の銭湯は、燃料に廃材とかを使うことがないので、高い煙突は必要
ないのだが、取り壊すにも費用がかかるので、そのままになっていたよう
だ。ただ、老朽化してくると危険なため、撤去する必要があったようだ。


 昔は、工場地帯でない都会の中での高い煙突と言えば、銭湯の目印で、
煙突から出る煙を見て、風向きや風の強さから天気を占っていた。
 今は、天気予報がきめ細かくなって、自分の住居の近くの天気予報を知
ることができるようになったのだが、地形や周囲の建物の影響で、風向き
などは、意外と違ってくる。

 そういった時に、煙が出ていると簡単に判断できたのだが、高い煙突は
清掃工場位になってしまったものの、清掃工場は排気がクリーンなので、
そういった用途には向いていない。
 ある意味、環境問題が強く言われなかった時代の象徴のようなものだった
のかもしれない。


 風呂屋の煙突以外に高いものと言えば、消防署の火の見櫓があったのを
思い出した。
 今のような高層ビルがない時代、消防署には火の見櫓と半鐘があって、
火事の際には半鐘と消防車のサイレンが鳴って、皆何事かと外に出てみた
りする時代だった。

 高層ビルが増えて、火の見櫓から見える範囲が限られて来るにつれ、利用
を取りやめてきて、火の見櫓はレスキュー隊の訓練や消防用のホースの干場
に利用され、老朽化と共に撤去されるという運命になった。
 火の見櫓のような立派なものではなくても、かつての田舎には、梯子の
かかった半鐘があり、それこそ津波や火事のような緊急事態には、打ち鳴ら
されていたという。

 現代は、緊急事態警報などテレビやスマホで知らされるが、アナログ的な
ものは、機器が必要ない分、多くの人にわかりやすいというメリットがある。
 何でもデジタル化という時代だが、手帳のようなアナログ的なものと同様
半鐘のようなものがあると、何となくほっこりする。