専門家を使いこなすには

 今年初めのブログは、何を書こうかと考えていたが、総理が
緊急事態宣言を検討するということを言っていたので、専門家
をどのように使っていくのか気になっていたことを書いてみる
ことにした。


 思えば、2020年はコロナコロナの1年だったが、その対応の
中で政府の専門家への対処が問われた1年だったようにも思える。

 それは専門家会議を組織したものの、専門家の意見を判断する
機能も能力もないことから、全国の学校の一斉休校を要請して
みたり、緊急事態宣言で全国的な行動規制をかけたかと思えば、
専門家会議を再編して、訳のわからない分科会という、自分たち
に都合よく使える組織にしたりと迷走していると思う。

 専門家自体も、緊急事態宣言当時は、医療関係者が多かった
こともあって、前のめりになったという反省があったものの、
感染が拡大してくると、政府の行動の遅れに対する危機感が強く
なって、また積極的に発言するようになってきたと思う。

 
 専門家と言っても、医療や感染症の専門家だけでなく、経済
や法律の専門家など多くの分野があるのだが、専門家が全て同じ
意見を持っている訳ではないので、従来の政府が作る審議会は
政府の施策なり、政府の意向が反映しやすい組織とメンバーを
選定してきている。
 このため、ある意味最初から偏った組織になりがちであり、
また、専門家を隠れ蓑にして、権威付けをしているとも言える。


 こういった手法は、政治的には通用しても、今回のような感染
症対策には実効性があるようには見えない。
 なぜなら、多くの専門家の意見をうまく引き出すこととその
意見を踏まえて判断できる人材がいないからである。
 政府の判断は示されても、合理的な根拠が示されることも、
その判断に対して十分に説明されることもなく、抽象的な説明
と不明確な方針だけで、明確な見通しや具体的な施策と進捗状況
が示されていないのが、それを表している。


 専門家と言えども、合理的な根拠を示すには、それなりに調査
や分析をする必要があり、また、問題解決のためのプロセスを
提示する必要があるのだが、そのためには、諮問機関でなく、
プロジェクト型の解決組織が必要だと思う。

 日本がバブル崩壊以後、失われた30年間を過ごしてきている
一因は、ここにある。
 政府として何をしなければいけないか、そのためには何をする
必要があるか、どのようにするべきかということを考える組織も
人もいなかったということに尽きるのではないか。


 専門家と言っても、実行を伴わないのは単なる評論家であり、
また、太鼓持ちだけ集めても、真の解決策は見つからない。
 官僚組織は、ある意味専門家集団的な要素があり、専門家で
ないと専門家は使えないし、専門家の意見を取捨選択できない
のだが、IT分野のように必要な専門家を抱えられなかったり、
政治家への忖度で本来あるべき機能が発揮されない状況になって
きているのではないか。


 いくら顧問として専門家を集めても、専門家の意見を踏まえた
判断が誰にでもできるわけではない。
 リーダーは、そういった判断ができる人間が望ましいし、そう
いった人間を連れてきて、責任を取れる態勢を作るというやり方
もあるのだが、往々にして面子に拘り無責任な体制ができてしま
うのである。


 プロジェクト体制を組む時に必要なメンバーには、成功体験を
持っている人を加えるといい。いくら専門家といっても、実務で
成功した経験、苦労した経験を持っていないと役に立たない。

 判断ができる人は、必要な要素について理解していると共に、
合理的な判断ができる人がいい。言い換えると、判断基準が曖昧
でなく、明快に説明できるような人である。
 そういう意味では、学術会議の任命拒否を明確に説明できない
ような人は、不適格だと思う。


 今や一部の専門家に頼るような時代ではない。国難という言葉
を軽々しく使って欲しくないが、それを使わないといけない状況
であれば、多くの人の知恵と技術を結集する仕組みを導入すべき
だと思う。
 対応へのオープンソースやオープンデータベースができていく
ことが望ましい。
 専門家は、世界中にいるのだから。