ソダナー、ドウシタモンジャロナー

今週のお題「わたしは○○ナー」

 

 かつてオリンピックのカーリングチームが、「そだねー
と声をかけあっていたが、これは相槌を打ってコミュニケー
ションを取っていたのだろう。
 ソダナーは、「そうだな」という相槌というのではなく、
どうしようかなという意味である。

 「そだねー」という前提は、誰かがプランを出して、それ
に賛成するのだが、ソダナーとなると、自分でプランを考え
る立場なのだ。
 リーダーがいて、それに従っていくというのは、ある意味
楽なのだが、自分がリーダーになると、考えを巡らせていく
必要がある。
 それがうまくいけばいいのだが、時には失敗することもあ
るので、思案をするのがソダナーなのだ。


 今は組織を離れているので、そういった場面はないのだが、
一方で自分自身の生活では、それなりに思案が必要な場面も
多くある。
 収入に合わせて生活を見直そうとすると、何かを切るなり
変えるなりするしかないのだが、スパッと決断できることは
少ないので、ソダナーとなる。


 僅かな資金を運用しようと思うと、対象の商品もあれば、
やり方や金額など考えることが多い。
 そして、やってみたはいいが、うまくいかない時は、次は
どうしようかとか考えるし、うまくいった時でも、どこで見
切るかといったことで思案することになる。
 リスクを大きく取った時は、ソダナーというより、ドウシ
タモンジャロナーということの方が多い。
 最初から、それほど大きなリスクは取っていないので、傍
から見れば、何でそんなことに悩むのかと思われるかもしれ
ないが、気の小さい性格なので、そうなってしまう。


 お金の問題だけでなく、親の世話のようなことは、どこま
でするかとかもあるので、妻からどうするのか問われると、
ソダナーといった感じになる。
 そうは言っても、できることには限界があるので、介護の
ために老人ホームを確保するには、ドウシタモンジャロナー
といった感じで、なかなか結論がでない。


 歌の歌詞ではないけれど、人生は迷い道くねくねで、その
都度、ソダナーとドウシタモンジャロナーといった判断を迫
られてくる。
 結局のところ、失敗を重ねても、何とかこれまでこれたの
だが、墓の手当てはできていないので、死ぬまでソダナーと
ドウシタモンジャロナーを繰り返すのだろうか。