荒唐無稽は、口頭無形のことだった?

 ここ数年の出来事を見ていると、ひと昔前までなら
デタラメと言われたことが、日常的に見られるように
なってしまったように思える。

 

 役人が、国会に出す資料を改ざんしたり、隠蔽したり、
決裁文書を改ざんしたり、口頭で決裁したりして、その
結果、大きな混乱をもたらしているにもかかわらず、
関係者は軽い処分で済ませてしまっている。
 役人だけでなく、政治家も責任はあると言いながら、
責任を取るわけでなく、給与の一部返上程度で済ませたり
している。

 

 政府ばかりでない、日本銀行も異次元緩和と呼ばれる
ような措置を延々と続けて、特に恥じるでもなく、説明に
ならない説明を総裁がしているのを見ると、デタラメでは
ないかと思ってしまう。
 今回の新型コロナウイルスへの対応として、政府は膨大
財政支出を見込んでいるが、日銀が実質的に国債を引受
してくれると見込んでいるからできることで、財政状況を
考えれば、それだけの財政支出ができる筈はないのだが、
諸外国、特にFRBがかなり大胆に金融支援をしているため、
日銀もやらないという選択はなかった。
 但し、他国は日本ほど財政状況が悪いわけではないし、
緊急事態であり、経済が壊れてしまうより、回復が期待
できるのであれば、そちらの方がいいということだと考えて
のことだと思うが、リーマンショックの時の中国のような
リーダーがいる訳ではないので、元通りになるという保証
もない。
 多くの人は、金融については無知なので、日銀を全面的に
信用していると思うが、日銀は国民のためにとか金融秩序を
維持するためにとかでは無く、政府のために金融政策を実行
していると言っても過言ではないと思う。


 当初は、デフレ脱却のために、異次元というか従来のルール
を無視した金融措置を取ったが、デフレでは無くなった後も
ズルズルと緩和措置を継続してきているのは、国債を大量に
発行し、株価の維持向上を期待している政府のためと言って
いい。
 金融支援は必要だが、世界的に見ていくと、リーマン以上の
経済的な影響があるとIMFが言っている以上、金融面でも、それ
以上の影響が出てくることを覚悟しないといけないのだが、
株式市場も企業も国民も、そこまでの切迫感がないため、景気
回復への期待感や目先の給付金や補助金に気を取られている
のではないだろうか。


 総理大臣の会見や米国の大統領の会見を見ていると、言って
いることとやっていることが違う、言いっぱなしになっていたり
後で訂正したりと、まさに口頭無形なことが多い。
 人によっては言葉を軽く扱っているともしているが、場合に
よっては、まさに荒唐無稽と言ってもいい場合がある。


 信無くば立たずとは言い古された言葉だが、まさに、今の状況
は信がない状況だと思う。自らの非を認めて、行いを改めるなり
適材適所を公明正大に行うべきだと思うが、どうだろうか。