1980年代と2020年代

 1980年代のイメージは、「混迷」で、今は懐かしい総中流意識の一方で
価値観が多様化しているということだった。価値観の多様化の流れとして
3つの大きな流れがあると考えていたが、それは①量から質へ、個の確立、
②集中から分散へ、③個から共へという想定をしていた。

 今40年経って、中間層が薄くなり、2極分化してきているが、混迷の状態
はあまり変わっていないようにも思える。確かに価値観は多様化してきて
今回のコロナ騒ぎの中でも、新しいライフスタイルを既に実践している人
も多く見られるようになった。
 一方で、豊かさの転落への不安、情報の受動性の昂進、2極分化による
選択の困難さは、ある意味で逆の流れを見せているようにも感じられる。
歴史を振り返って見ると、1980年代の前の1940年代、太平洋戦争前時代、
その前の1900年代、日露戦争へ進む時代、1860年代の幕末・開国、明治
維新へと進む時代と、結構40年毎に大きな節目を迎えていることが、よく
わかる。
 2020年代は、これまでのオープン、グローバルな時代から、互いの政治
信条を賭けた、駆け引きの時代に進むのではないだろうか。価値観は多様化
しているが、民族的な信条は、政治体制とも絡んでいて、解きほぐすのが
困難なようにも見える。

 こういった時は、全てを捨てて、全体をまとめていこうという、言わば
バカな大物が出てこないと、関係悪化が止まらないのではないか。少なく
とも、世界の大国と言われる、米国、中国、ロシアには、そういった大物
は見当たらず、内向きのポピュリストがリーダーになっているように見える。

 日本の場合は、新型コロナウイルスの対応一つ取って見ても、迷走状態
で、政府にしても東京都にしても、緊急事態宣言を出してみたり、東京
アラートとか言ってみたかと思えば、経済重視で緊急事態宣言は出す状況
にないと言って見たり、迷走状態のように見える。
 いくら、専門家を集めた会合を作っても、意見を踏まえた合理的な判断を
した上で、そのプロセスと根拠を国民に対して説明できないようでは、意味が
ないということを解っているのだろうか。
 結局、政府は信用できないし、感染しても大したことはないだろうという
ムードが蔓延して、個人や企業がある意味適当な、言い換えれば、節度ある
野放図な状態で活動していくのだろうか。