できることとすることの違い

 最近感じることだが、できることとすることの違いを意識している人が
どれだけいるのかなと思う。法律に書いてないからできるという解釈をして
勝手にやってしまう人。また、法律の条文が明確な表現をしていないから
できると解釈して、やってしまう人がみられる。

 法律は、現状を後追いする傾向があるのと、立法者が意図的に裁量余地を
残しておきたいと考えるという両者があるかと思うが、いずれにしても、
重要なことは、することである運用には明確な基準を作っておく必要がある
ということだと思う。
 運用基準もなく、明確な判断理由の提示もなく裁量で決定することは、
権利の濫用と言えるのではないか。


 日本の場合、往々にして法律を作ってしまえば、後は通達などで細目を
固めればいい位になって、後のフォローがいい加減になっているが、法律や
規則は作った段階では50%しか完成していない。その法律が、本来の趣旨や
目的にかなった運用を明確にしていくことで、始めて完結するといっていい。
 さらに、現状をフォローして、不足する部分を改正して補っていくことで
PDCAが完結するのだが、そういった仕組みが欠けていると思う。
 また、憲法改正を言うのはいいが、憲法の精神を遵守した運用をしてない
人間に改正を語る資格はないと思う。それ位運用は大事だ。


 昔は、ありえないと思ったことが往々にして起きる現在、官僚による文書
の改ざん、それも国会に提出する文書の改ざんなど誰も想定していなかった
と思われる。
 想定していないため、罰則もないので、処分を軽くして済ますといった
ことを見ると、こんなことがまかり通るようでは、日本の将来はないなと
思ったりする。
 いくら立派なことを言っても、自らの行動を律することができない者は
信用されないし、どこを向いて仕事をしているかで、その人の仕事に対する
姿勢が評価できる。
 今は何処へ行っても、上を向いて仕事をする人ばかりで、本来的にはどう
あるべきかとか、組織全体を考えてこうあるべきということで仕事をする人
が少なくなってしまった。


 できることであっても、やりたくない人は理由をつけてやらなかったり、
先送りをする。
 必要であれば、どうやったらできるのか、できない理由は何かを明確に
述べて、何を解決していくのかを説明する必要がある。
 丁寧な説明で理解を求めるということを言ったりするが、これは表現を
変えたごまかしで、本来の疑問に答えていなければ丁寧に説明しても理解
される筈はない。

 先例がないことに挑むには勇気がいる。知恵もいる。場合によっては
機が来るのを待つということもあると思う。いずれにしても、何かをやる
というのは、できるからやるというものではなく、そこには考えた行動が
ある。それがなくては、成功しない。


 民間では当たり前のことが政府できていないのは、やる気がないからで、
今ごろになって、デジタル化だと行政改革だとか言っているが、そういった
目立つことばかりでなく、実行するためには、コンプライアンス的な面も
改善が必要だと思う。民間には法律で、内部統制を求めているが、政府は
どうだろうか。
 法律は内部統制を強化するため、仕事の流れを洗うことを求めているが、
その結果、無駄を省き統制も強化できる。内部統制を強化すれば、口頭
決裁などあり得なくなるし、文書の改ざんや破棄などもなくなる筈だ。


 コンプライアンス意識の低さが、できることなら何をやってもいいという
意識につながっているし、内部の不正があっても、第三者によるチェックは
必要ないという感覚になっているのは、やりたくないからに他ならない。

 政治資金規正法を見ればよくわかると思うが、証憑が明らかでなくても
問題としないし、現金を配って政治活動をしていることに対することを
非難することもしないのは、政治家のコンプライアンス意識のなさを物語
っていると思うし、運用基準がいい加減で改善をしてこなかった結果でも
ある。