読書の秋ですか

 以前は、電車に乗ると新聞か本を読む人を見かけたものだが、
最近は、右を向いても左を向いてもスマホを見ている人ばかり、
読書の秋なぞは、半死半生語になっているのではと思ったが、
何と今週のお題は、読書の秋だと。

 私自身は、電車の中でのズマホは、小さい字を見るのが嫌な
のであまりしないが、本を読むのも同様で、頭がクラクラして
くることがある。
 それはさておき、読書の秋に読む本はと言われても、随分と
読書からは遠ざかっている。ここ数年、読むのは雑誌か新聞か
ウェブの記事で、本はほとんど読んでいない。
 新聞の書評や日曜版の本の紹介など、ざっと目を通しはする
ものの、買って読もうという気が起きないのはどうしたものか。
 学習意欲とか知識欲が、若い頃に比べて落ちたというのもあ
るかもしれないが、本を読むより何かを考えるという方が好き
ということなのかもしれない。
 

 本を読むのが嫌いということではないので、一度読みだすと
途中で止めるのが、何とももどかしいことがある。食事の時間
になって、一度止めても、また。すぐに読み出したくなる。
 結局、終わりまで行って、ああこういう結論だったのかとい
うのが知りたいだけなのかもしれないが、さりとて終わりの方
から読んだのでは、興味が半減してしまう。
 本には、そういった中毒的なものがあるので、滅多に読まな
いということもある。


 最近は、本を原作にしたテレビとか映画が増えてきて、本を
読まずに、そういったもので手軽に済ませてしまうということ
もある。
 人によっては、原作から入らずに、映画から原作に入るとい
うこともあるようだが、それもいいのではないか。
 映画は、監督なり出演者のカラーが出るため、原作とは違っ
た雰囲気がある一方で、活字の方は読み手の空想なり妄想が膨
らんで、まだ見ぬイメージを描いたりする。どちらから入るか
で、期待以上のものだったり、期待外れだったりするのだが、
元々原作者が、こういうイメージなり内容だと明確に解説して
いることは稀なので、それは読み手の自由であり、それがまた
楽しみなのだと思う。


 読書の秋ということで、今回は、家に寝ている本のうち、
ハリー・ポッターと賢者の石」を読んでみた。以前、子供が
買って読んでいたものだが、映画は見ていたものの本の方は読
んだことがなかったので、映画のシーンはこういう表現だった
のかと確認しながら読んだ。
 映画のイメージがないと、イギリスの街角や暮らし、古城と
いったものの内容が、具体的に浮かばなかったかもしれない。
 文字より映像の方が、情報量が多いので、こういったものは
早く出た原作を読んでから、映像を見る方がより楽しめるのか
もしれないと思う。


 ミステリーのようなものは、原作を読む前に映画を見てしま
うと、謎解きが終了してしまうので、面白さが半減してしまう
が、空想世界のものは、どのような形で映像化されるのかとい
う楽しみがある。
 また、知識を得るようなものは、理解をしながら読み進んで
いき、さらに自分自身の知力が上がったのではないかと錯覚す
るようなこともある。
 趣味の世界では、今まで知らなかったことが、本から得られ
ることで、また一つ沼にはまっていくのだが、それはそれで、
止められない世界である。
 さあ、自分も沼にはまりに行こう。