鬼は内

今週のお題「鬼」

 

 鬼といえば、鬼滅の刃に出てくる鬼を連想する
人も多いかもしれないが、それを見てもわかるよ
うに、鬼は人間としての未練や執着がある者が、
誰かにコントロールされて鬼に仕立てられている
ようなところがある。
 従って、一見すると人間と区別がつかないもの
の、ある日突然、その正体を現すといった感じに
表現されている。
 一体誰がコントロールしているのだろうか。実
は自分自身なのかもしれない。


 最近の殺人事件を見ると、犯人がやっているこ
とが漫画の鬼と変わりないのではないかと思える
のは私だけではないだろう。
 普通に見える人が、なぜ鬼のような所業をして
しまうのか、色々な要素があると思うが、それは
個人の内面に入ってみないとわかるまい。

 犯罪心理からみると、凶行に至るには、動機と
機会が重要だが、最終的に凶行に踏み込むには、
何らかの衝動があると思う。ただ、児童虐待のよ
うなものは、常習的な行為の延長に死があったり
するので、衝動はないかもしれない。
 いずれにしても、その行為が鬼のようになるの
は、自己中心的な行動と思考に囚われているよう
に見える。


 本人は鬼とは思っていなくても、傍から見れば
鬼のように見えるというのはよくあるが、一方で
傍から見ると鬼のように見えても、当事者間では
当たり前ということもある。
 例えばドラマにある鬼教官のような場合は、相
互に了解があるということだと思う。
 
 人間心理は不思議なもので、相手が鬼のように
見えていても、一度分かり合えれば、叱咤激励の
ように思えて耐えることができる。
 そういう意味では、鬼は心のうちにあるので、
心持ち一つで存在しなくなるということだろうか。


 秋田のなまはげは、鬼の面を被って家々を周り
子供を諫めるのだが、姿は鬼でも心の温かさを感
じさせられる。
 節分の豆まきでは、「鬼は外、福は内」と言う
のが一般的だが、地方によっては、「鬼は外」は
言わなかったり、「鬼は内」とまで言うところも
結構存在する。
 鬼によって悪事を払ってもらうとか。鬼を祭っ
ていたりする地域もあるので、必ずしも全ての鬼
が悪いわけではない。

 人間の内に潜む鬼の部分は、誰にでもあるかも
しれないが、相手のことも思うというのがあれば
鬼にまでなることはないと思う。
 問答無用で迫る人や国を見ると、いっそ鬼の面
でも被った方がいいのではないかと思ったりする。