民主主義について考える

  朝のテレビを見ていて、政治意識を持った学生の行動と悩みが
紹介されていた。今の時代、生活に困った学生が、支援を訴えて
政治活動をするというのは、ある意味必要な行動だが、学術会議の
任命拒否については悩みがあるようだ。
 仲間の共感が得られないのではないかといった悩みは、米国と
違って個人の政治的な主張が希薄な日本では、反体制的と取られる
のが嫌だということのようだ。

 でも、こういったことを考えるのが、民主主義なのだと言って
あげたかった。

 

 民主主義とは何かということについて、人によって考えが違うとは
思うが、社会が分断化している今こそ、どうあるべきかということを
議論すべきではないだろうか。

 人によって置かれる環境が違えば、価値観の違いが出てくることは
ある。それでも、民主主義は個人の意見を反映させて、政治を行う
ものだと理解しているが、政治体制の違いで民主主義を否定することは、
多くの国でみられる現象だと思う。


 日本の民主主義は、敗戦により米国からもたらされたものだが、
それ故に多くの人は、民主主義を守り育てていくという意識に欠けて
いると思う。
 今の混乱は、戦争を経験して民主主義による国造りを意識していた
世代が引退し、戦後生まれを主とした戦争の反省のない未熟な世代が、
政治の表舞台にいることに一因がある。

 
 政治は権力闘争という面があり、表面的な主権者である市民は生活
優先なので、ポピュリズムを掲げた政治家に人気が集まり、そういった
政治家が権力闘争を行うことで、国民も好むと好まざるとにかかわらず、
政治闘争に巻き込まれていくことになる。そこには、残念ながら民主
主義を守り育てていくという理念は見られない。

 例えば、国会の軽視や選挙での現金配布、政権を守ることを優先した
文書の改ざん、破棄・隠蔽、法解釈の強行変更などに現れていると思う。
 本来、国民を向いた政治や行政を行うのが民主主義なのだが、権力者
の方を向いて仕事をするようになっていると思う。


 一世代前の政治家なら、ならぬことはならぬ、恥を知るという価値観
があった。さらに、戦後からの復興と繁栄を目指して努力することが、
戦争で失われた多くの命や仲間の無念に報いるということになるという
意識が根底にあったと思う。
 そのため、戦前に戻らないよう民主主義は大事だということを強く
意識していたと思う。
 今では、国民を向いた政治をしていないので、戦争を反省し国民を想う
ことは、天皇家にのみひっそり受け継がれているようにしか見えない。
 
 
 日本の民主主義は米国からもたらされたものだが、日本人は自己主張を
するという教育を受けてきていないので、個人の考えに基づいて行動する
というより、イメージに流されたり、考えてはいるが争いを好まないので、
多数派に同調するという傾向があると思う。

 
 私自身は、民主主義に必要な要件を3つに整理し、これを満たしている
かどうかで評価することにしている。

    1つは、オープンであること。主権者たる国民が望む情報については、
即時適切に開示されるべきであり、また、国民生活に関する意思決定の
プロセスも開示されるべきであると思う。透明性は、コンプライアンス
面からも重要である。

 2つめは、フェアであること。よく公正という言葉が使われるが、政府
が定めたルールは必ずしも公正と言えない。自分たちに都合よく解釈して、
法に則って行われているからと言うのを、フェアであるとは思わない。
 それならば、何がフェアなのかと言われるだろうが、一言でいえば世の
中の常識、慣行、ルールに従っているかどうかである。
 極端に言えば、個人の主観も入るかもしれないが、おおよそ世間の常識
で判断できないことが、一般の国民に理解出来るはずがない。

 3つめは、ゼネラルアーギュメントである。民主主義には健全な議論が
必要だが、往々にして自分たちに都合のいいこと、メリットがありそうな
ことは声高に唱えるが、反対意見やデメリットは取り上げないか無視を
するような事が多い。
 全ての政策には、メリットもあれば、デメリットがある。一部の人に
とってメリットがあっても、デメリットを受ける人もいる。全てを出して、
判断を国民に委ねるという姿勢が必要だと思う。

 
 こういった基準でみていくと、現状が余りに達成ができてないことに
驚くし、絶望感もあるが、一隅を照らすではないが、自分自身少しでも
良くなるように努力していくしかないかなと思う。
 ブログにこうしたことを書くのも、一つの取り組みである。