夫婦別姓に関する最高裁判決に思う

 夫婦別姓を認めないとする民法や戸籍法の規定に対し、
合憲であるという判断をした23日の最高裁大法廷の決定
を聞いて、やっぱりなと思うと同時に、最高裁判事の感覚
が世の中一般とずれているのではないかと思った。

 2015年の判決以降、社会の変化や国民の意識の変化
があるにもかかわらず、それらを踏まえても憲法24条の
適合性に関する判決の判断を変更すべきものとは認められ
ない。という結論は、憲法判断を避けて国会で論じ判断す
べきものということで逃げているようにしか見えない。


 国会で、この件に関する議論が進まないのは、改正案が
与党である自民党の反対で、提出されないためで、それが
何十年も続いているという、異常な状態だと思う。
 議員定数の改定を見ても、まともな議論というよりは、
一部の議員の掲げる理屈で進まない状況は、国会が機能し
ていないだけでなく、民主主義を否定しているかに見える。


 確かに、憲法判断とは別に、政治的な判断というものが
存在する場合もあるが、世界の大勢を見ても、女子差別撤
廃条約に関連して勧告を受けるような状況を見ても、憲法
判断を回避する理由にはなるまい。
 そういう意味では、違憲という反対意見を述べた裁判官
の方が、筋が通っているように思う。


 最高裁判所の裁判官は、国民投票を受ける立場にあるの
だから、大法廷に関しては、全員が個別に判断なり意見を
開示するべきだと思うが、現状はそこまでの規定が存在し
ていない。この点は制度の欠陥だと思うので、マスコミが
積極的に提言していくべきだと思う。


 この件に限らず、法律は現状より先行することはないの
だが、一方で法律は作って終わりというものではなく、不
断に改定の努力をするべきものだという認識が、政府も国
会も国民にも欠けていると思う。
 憲法の改正には熱心な人達が、一方で今回の法改正に反
対するという状況は、ご都合主義としか思えない。
 最高裁の判事だけでなく、全ての国会議員は、こういっ
た重要なテーマについて、自分の意見を公開すべきだと思
う。
 それができないようでは、国会議員を名乗る資格はない。