卒業あれこれ思うこと

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

 卒業というと、まず思い浮かぶのは、小学校、中学校、高等学校、大学
などの卒業式だろう。

 小学校は義務教育なので、卒業といっても一区切り、中学になると他
の学区などから来る生徒がいるので、新たな環境になるのだが、別れる
友達もいる。
 そういう意味では、人によって感慨もあるのだろうが、自分はそういう
感慨が沸かなかった。

 中学は、かなりの数が同じ高校へ進学したこともあり、言わば一区切り
ついただけなので、卒業についての感慨はあまりなかった。

 高校の卒業は、学園紛争のあおりで、卒業式はなく教室で卒業証書を
渡されただけ。
 卒業アルバムの作成もないため、未だに同期の顔も全部はわからない。
おまけに、大学へ進めず浪人生活だったので、卒業はしたけれどという
感じだった。

 浪人して入った大学の卒業式は、記念写真も残っているが、卒業できた
という嬉しさと、新たに社会人になるという希望が溢れていたように感じ
ている。

 

 形式的なところでなく卒業というと、何かにはまっていたものを止めて
しまうような感じで、また再開すれば中断ということになるのだろうが、
中断が永くなると卒業かなという気になる。
 一時期はまっていたのだが、全くやってないものは結構ある。

 例えば、パチンコ。ギャンブルなので中毒性があるのだが、就職してから
は全くしていない。
 今でもパチンコ屋の前を通ると、昔を思い出すのだが、よく考えてみると
やめた理由は、環境が合わなくなったのだと思う。
 タバコの煙と騒音にいつしか耐えられなくなってきたのと、暇つぶしを
するような時間が勤め出してあまりなくなったせいだと思う。


 また、タバコはパイプも持っていたし、紙巻も吸ってはいたのだが、
今は全くやっていないし、パイプも持っていない。
 パイプで吸うタバコの香りは、今でも嫌いではないのだが、積極的に吸い
たいという気はしないし、紙巻タバコもピースの香りは好きなのだが、他人
の吸ったタバコの煙は、どうも好きになれない。

 汗をかくような運動をした後に、吸うタバコのニコチンは、身体に染み
渡るような感覚があり、これで中毒になる人もいるのだというのがわかる。
 ただ、中毒になるほど吸わなかったこともあり、また、どうしても吸い
たいという欲望もなかったので、今は完全に卒業したと言える。

 もっとも父が使っていたジッポのライターを今も後生大事に持っている
のは、未練がましく見えるかもしれない。

 

 そういう意味で、趣味はなかなか卒業ということにはならないかもしれ
ないが、面白半分だったり不純な動機があるようなものは、関心と動機が
失せれば中断、そして卒業ということになるのかもしれない。

 アマチュア無線は、中学から高校まで熱心にやっていたが、就職してから
は、野球大会の連絡用として使った位で、いつしか止めてしまった。
 無線従事者免許はあるので、機器を用意して開局申請さえすればできる
のだが今一つといった感じで、ほぼ卒業状態といっていい。

 スキーは、学生時代から始めたが、あまりうまくならなかったのと、膝を
痛めてしまい、残念ながらスキーへ行くような彼女もできなかった。
 妻もスキーをしないため、子供とスキーに行くこともなく、いつしか卒業
となった。
 
 サッカーも中学から始め、就職後も同好会的にやっていたが、試合で骨折
してしまい、その後結婚したこともあって、プレイするのは卒業という状態
になった。


 
 組織に所属している人間は、転職によって組織を卒業ということもある。
私も二回の転職を経験しているが、良かったことや悪かったことの両方を
経験すると、卒業というよりは、次へのステップのための区切りという感じ
の方が強い。
 つまり、卒業は終わりでなく、明日への始まりなのである。人生が終わる
まで、それは続いていくと思う。