気にはしない、でも忘れたくない

 人間の記憶は、反復することで強化されるという。
つまり、忘れたいと思えば思うほど忘れにくいという
不都合な真実がある訳である。
 また、忘れたいと思うのは、精神的なダメージが大
きく、反省とかいうレベルではないということなのだ
と思う。


 私自身は、数えきれないほど失敗も、また、子供の
時ではあるが、悪事もはたらいているので、忘れた方
がいいことが多いのかもしれないが、先ほどのように
覚えていることが多い。
 ただ、そういった失敗が、後々生かされているかと
いうとそうでもない。原因は、私の天邪鬼な性格だと
思う。
 頭では、こうした方がいいと解っていても、そのと
おりやらないことがあるのだから、始末が悪い。
 こうなると、忘れたいとかいうレベルでなく、明日
は明日の風が吹く、ケセラセラなのだ。


 忘れたいというより、「ああそんなこともあったな。
仕方ない。」で済んでしまうのだが、こういう人間は、
成功しないかもしれないが、本人のストレスは小さく
て済んでしまっているのだ。
 しかし、私とて昔からこういう性格ではなく、小学
生の頃は優等生で、テストでも満点を目指していたと
思う。
 それが、中学になって、自分より優秀な人間に出会
い、満点を取ることも難しくなって、挫折したことで、
うまくいかなくても仕方ない、次の時に頑張ればいい
と思うようになった。


 おそらく優秀な人は、そういった挫折もなく順調に
社会に出て行ったかもしれないが、自分はそうならな
かった。
 ただし、いい学校を出ていい会社に入っても、仕事
に向かない人や、評価されない人もいるので、そうい
う人は何らかの挫折感を味わっているのではと思う。
 そこで割り切れないと、精神を病むか仕事を辞める
ことになる。そういう人も多く見てきた。
 

 忘れたいというのは、ある意味過去に縛られている
ように思う。
 私自身は、過去よりは明日をどう生きるかの方が大
事で、過去の反省をしないわけではないが、新しいこ
とに挑戦する方が、性格に合っている。
 自分の前には道がなく、自分の後に道ができるとい
うのを理想にしているのだが、なかなかそううまくは
いかないことが多い。
 結局、失敗をして多くの人に迷惑をかけたりして、
忘れたいことを積み上げているのかもしれないが、
99の失敗の上に1つの成功があるのであれば、それ
も許されるのではないかと思っている。


 ただ、自分の行った結果で、不幸になった人のこと
は忘れたくても忘れられない。自分が苦労したり、不
幸になるのは許せても、他人を巻き込むのはケセラセ
ラというわけにはいかない。
 責任ある地位に上ると、そういったこともあるのが
つらいところだが、そうなっても、責任を転嫁したり、
逃げたりすることはしたくないものだと思う。
 最近は、厚顔無恥というのが、死語になってしまっ
たように思うほど、こうした事例に事欠かないのをど
うしたらよいのだろうか。