国葬に思う

 

 今秋、安倍元総理の国葬を行うことが岸田総理から発表
された。
 国葬にすることについての賛否両論があるようだが、国
葬実施の基準がないようなので、そこは政府の判断になる
しかない。
 もっとも、基準があっても裁量の余地を残すのが日本流
なのは、国民栄誉賞をみてもわかるので、同じことだろう。


 戦後、国葬とされたのは吉田茂氏だけで、吉田氏と比較
してどうなのかという人もいるが、吉田内閣の汚点とも言
うべき造船疑獄と指揮権発動で、対象となったのが佐藤元
総理であり、その佐藤内閣が国葬を決めたので、恩返しと
見られても仕方ない。
 今回の国葬の決定も、十分な議論があってというより、
政治的な判断ではないかと思われる。


 私自身は、葬儀というものは個人的なものという意識が
強く、それぞれの個人が弔意を示せば十分だと思うのだが、
叙勲や叙位のように形式的なものにこだわる人は、国葬
したいと思うのだろう。
 国葬にしたとしても、どのみち全ての人が参加する訳で
はないので、特に反対はしないが、税金を使うのはやめた
ほうがいいと思う。
 おそらく、そういう発想は政府や国会議員からは出てこ
ないと思うが。


 一般に、社葬のようなものは、会社の経費で行うことで
参加者から供物、香典のようなものを受け取らず、焼香や
献花のようなもので済ませているのだが、国葬だからと言
って、これに準ずる必要はないと思う。
 むしろ、費用を明示して、これに関する寄付をネットで
香典代わりに受付、合わせて弔意となる短いメッセージも
受けて捧げれば、多くの人が参加できるのではないか。
 また、多くの寄付が集まるのであれば、それを元に基金
を作って、奨学金や研究資金を出すようにした方が、日本
の将来のためになるのではないだろうか。
 
 アベノミクスで達成できなかった成長戦略は、人づくり
や科学技術の種まきが不十分だった面があると思う。
 そういったものの一助になれば、後世まで名を残すこと
ができると思う。