転勤族なら引っ越しは不可避

今週のお題「引っ越し」

 

 3月4月は引っ越しシーズンで、家の近くでも賃貸住宅
を主に、引っ越し業者のトラックが、毎日のように荷物の
積み込みを見かけるようになった。
 私も自宅を構えてからは、引っ越しをすることはなくな
ったが、それまでは何度も引っ越しを経験した。


 最初の引っ越しらしい引っ越しは、東京から熊本へ転勤
した時だろうか。
 時期外れの突然の異動で、関係者3名のいわゆる玉突き
異動であったのに加えて、異動の内示があった日は、私が
出張中だったため、妻は大変焦ったということだった。
 妻にしてみれば、初めての引っ越しに加えて、子供を2
人抱えて、遠い九州に行くということで、どのようにして
いいかも分からず、相談相手も不在だったのだから、申し
訳なかった。

 幸いにして、社宅に入っていたこともあり、社宅の年長
の奥さんは、引っ越しには慣れているので、何人も来て、
子供の面倒をみたり、食器や家財の梱包などを手伝ってく
れたので、なんとか荷物をまとめることができた。
 普通なら異動の内示から引っ越しまで2週間位はあるの
だが、玉突き異動なので、早く住宅を明け渡すように言わ
れたうえ、異動先の上司からも早く赴任してくるように言
われて、結局1週間程度のバタバタの異動だった。


 熊本への移動は、飛行機だったのだが、まだ小さい娘が
大事にしていたウサギのぬいぐるみを飛行機の中に忘れて
きたため、大騒ぎして航空会社に問い合わせをしたところ
見つかって、後日取りに行ったりもした。
 ウサギがないと寝れなかった娘は、その後大人になるま
で大事にそのぬいぐるみを持っていた。

 熊本についてから暫くして、荷物がコンテナで到着した
のだが、道が狭いためコンテナから小型のトラックへ少し
ずつ積み替えて搬入するため、時間がかかった。
 やっと運び終えて、昼にとった出前のラーメンを食べた
時に、カルチャーショックがあった。スープの濁った豚骨
ラーメンは、それまで食べたことがなかった。
 しかし、熊本を出る時には、豚骨ラーメンでないと食べ
た感じがしなくなった。そういう意味では、引っ越しは、
色々な文化を知るきっかけになったと思う。


 熊本から東京へ異動になった時は、突然ではなかったも
のの、早く荷物をまとめて移動しなければという状況だっ
た。
 というのも、年末に妻の父が脳卒中で倒れたため、無理
を言って東京へ帰してもらうことにしたのだった。
 引っ越しの際は、子供も大きくなって荷物が増え、コン
テナには載らないので、ベランダで育てていた植木鉢など
は、庭に植えるしかなかった。
 東京の社宅は、妻の実家に近いところを希望したが、空
きがあるはずもなく、妻は毎週のように社宅と実家を行き
来する生活だった。
 それでも、なんとかなったのは若かったせいだろう。


 3年後、私は異動で秋田に行くことになったが、義父の
こともあり、私が単身で赴任し、妻子は妻の実家に転がり
込むことになった。
 この時点では、自宅を構えていなかったため、家財の多
くは秋田に送り、ほとんど社宅の部屋に放り込んでおくよ
うな状況だったのだが、荷ほどきには妻が来てくれた。
 秋田から東京に戻る時は、ダンボールに入ったままの荷
物も多かったのだが、妻のピアノは梱包していなかった。
 東京ではピアノは専門の業者が搬送するのだが、秋田で
運送業者がまとめてやることになっていて、妻はピアノ
に縄をかけて運ぼうとしたと言って怒っていた。


 ピアノは、重いだけでなく、傷をつけないように運ぶた
め、階段や部屋の入り口が狭いと、手こずってしまう。
 同じように、冷蔵庫も最近は大きくなっているため、自
宅へ持ち込む時は、外から2階まで引っ張り上げてもらっ
た。
 その後、冷蔵庫を買い替えた時は、クレーン車で2階の
ベランダまで持ち上げて、搬入するようになったのは、時
代の進歩だろうか。
 いずれにしても、家財が多いと苦労することが多いので、
引っ越しを機に断捨離する人も多いようだ。


 引っ越しは、自分たちから子供の時代になり、手伝いに
出向くことも何度かあるが、私たちのように社宅が用意さ
れているという時代でなく、また、それぞれの会社によっ
て、住宅についてのルールがあるため、まず自分で家探し
から始まって、業者の手配等をした後に、梱包、清掃と荷
ほどきがあるという一大イベントになる。

 リモートワークが増えてくると、引っ越しをしないで済
む人が増えてくるかもしれないが、就職でなく就社の日本
では、転勤族がなくならないので、これからも引っ越しは
続いていくのだろう。