駆ける、懸ける、書ける、欠ける

今週のお題「かける」

 

 「かける」にはいろいろな同音異語があるが、私がまず頭に
浮かんだのは、「駆ける」だった。
 子供の時から、原っぱを駆けまわったりして、走るのは好き
だった。まだ、Jリーグができるはるか昔に、サッカーを部活で
選んだのも、そういうことと無縁ではないと思う。
 皇居の周囲をランニングしたこともあるが、マラソンに参加
するほどのフリークではなかったため、今ではほとんど走って
いない。
 ただ、駅伝を見たりするのは好きなので、気持ちでは駆けて
いる。


 芭蕉の最後の句は、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」だ
ったのだが、人生を懸けて旅に出、句作を行った俳人だった。
 俳句の世界ではなくても、人生を懸けて挑んでいる人たちも
多くいる。
 アフガニスタンで亡くなった中村医師は、砂漠に運河を引き、
人々の幸せのために尽くした。
 僻地で医療に取り組む人や教育に取り組む人の中にも、人生
を懸けている人が多い。

 世の中に奉仕するだけでなく、芸術や学問の世界では究める
ことに人生を懸けている人も多い。そういった活動が、社会の
発展の力になっている。


 そういった人たちに比べて、自分はどうなのかを問うと、あ
まりにいい加減に生きてきたように思える。
 サラリーマンになったのも、大学を卒業するにあたって、ど
こかに就職しないといけないので、何となく会社を選び、たま
たま拾ってもらった会社に長く勤めてきただけなのだ。
 新聞に「私の履歴書」を書いてもらう人は、それなりに人生
に目的を持って過ごしてきた人なのだろうが、自分で己が来し
方を書けるかというと、さして中身がない。
 まあ、凡人には凡人の生き方があると自分を慰めるしかない
のかもしれない。


 平安時代藤原道長が、「この世をば 我が世とぞ思ふ 
望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠ったのを学んだ
時に、権力者としての傲慢さを感じると思うに、上り詰めたら
下るしかないのを気付いていないのだろうかとも思った。
 この歌を詠んだのは十六夜なので、実際には満月から過ぎた
日なのだが、ほとんど月の違いはわからない。
 しかし、月の満ち欠けがあるので、やがては月も欠けて無く
なっていく。違いは分からなくても、やがて衰えていくという
ことを知るのは、今の日本を見ているようにも思える。

 人生いい時もあれば、悪い時もあるし、欠点を抱えている人
だって、努力すれば欠点を克服できることもある。
 欠けた陶器を金接ぎするように、欠点をうまくつないでくれ
るものが、今の日本には求められているのではないだろうか。